山 行 記 録

【平成13年6月2日(土)〜3日(日)/飯豊連峰 石転ビ沢からダイグラ尾根】



梶川の出合付近を登る[2001.6.2撮影]



【メンバー】単独
【山行形態】夏山装備(アイゼン、ピッケル)避難小屋(御西小屋)泊
【山域】飯豊連峰
【山名と標高】梅花皮岳2000m、烏帽子岳2017.8m、御西岳2012.5m、飯豊本山2105.1m
【天候】2日(晴れ後曇り)、(3日)晴れ
【温泉】梅花皮荘 500円
【行程と参考コースタイム】
[2001.6.2]
飯豊山荘630〜石転ビ沢出合830〜梅花皮小屋1050-1200(昼食)〜御西小屋1450(泊)
[2001.6.3]
御西小屋550〜飯豊本山640-650〜宝珠山810〜千本峰920〜休場の峰1010〜桧山沢吊橋1120-1200〜飯豊山荘1250

【概要】
先月初めに飯豊連峰に登ってから、既に1カ月近くが経っている。周りの山々は遠くから眺めても残雪が日増しに少なくなり、山の麓は今すっかり新緑の季節を迎えている。

今回は石転ビ沢を登り、飯豊本山からはダイグラ尾根を下る予定である。この時期のダイグラ尾根にはかなり残雪が多いと思われるので、この雪庇歩きを無難に通過することがこのコースのポイントのひとつになるだろうか。またダイグラ尾根の終点の桧山沢の吊橋は通行不可とあるのでここも気になるところではある。

[2001.6.2]
山荘にはすでにたくさんの車が停まっていて、みんなそれぞれに登る準備を始めていた。中には山スキーをザックにくくりつけている人も目立つ。登山届けをゲートの近くの小屋に提出し、飯豊山荘を出発した。

温身平を過ぎ、夏道をしばらく歩くと地竹原からは雪渓歩きだ。残雪は昨年の7月上旬よりも一部少ない所もあるのだが、やはりまだ6月である。梅花皮沢のほとんどを分厚い雪渓が覆っていた。なだらかな勾配の雪渓をのんびりと歩く。久しぶりの飯豊の雪渓歩きに気持ちが思わず弾んでくるようだ。

石転ビ沢の出合からは早めにアイゼンを装着した。しかし気温が高いためだろうか。ダンゴがつきやすく少し歩きづらかった。雪渓にはたくさんの人達が張り付いていた。眺めていると登っても登っても一向に先に進まないように見える。この石転ビ沢はスケールがあまりに大きいために距離感がないのだ。こうしてみると山登りというのは本当に一歩一歩の積み重ねなのだなあ、と今更ながら考えてみたりした。

石転ビ沢は初めはなんということもない斜面だが、勾配はだんだんきつくなってゆく。途中、何度か立ち止まりながら少しずつ梅花皮小屋を目指した。今日は朝からいかにも初夏らしい天候がずっと続いていた。しかし、本石転ビ沢あたりから雲行きがだんだん怪しくなってきて気持ちが少しずつ沈みがちになる。北股沢の出合付近では濃いガスのために陽射しは遮られて、あたりは夕暮れのように薄暗い。稜線はもう見えなくなっていた。北股沢の出合を過ぎると勾配はさらにきつくなるので、みんな喘ぎながらの登りだ。石転ビ沢の雪渓は想像以上に多く、中ノ島さえもまだ雪渓の下である。雪渓は梅花皮小屋の直下まで続いていた。強い風とガスのために、先に到着した登山者6〜7名程が梅花皮小屋の中で休んでいた。この天候ではみんなこのまま小屋に泊まるのかも知れなかった。

時間はまだ11時前だったが、早めの昼食にすることにした。小屋の水場はまだ夏場のような勢いがないものの問題なく出ている。2階に上がってカップラーメンを作る。食後は横になって天候が少し快復するのを待つことにした。石転ビ沢の登りで足はかなり疲れている。うつらうつらとまどろんでいると、誰かが聞いていたラジオの正午の時報で目を覚ました。1時間近く眠ってしまったようだった。窓の外をみるとガスは少し晴れている。誰も梅花皮岳に向かっている登山者は見あたらないが、思い切ってザックをまとめて小屋を出た。冷たい風が相変わらず強く吹いていて、長袖のシャツだけでは寒く、ウインドブレーカーを羽織った。

梅花皮岳へ向かう途中から石転ビ沢を眺めていると、まだまだ大勢の登山者が登ってくるところだった。急斜面に登山者が多数張り付いている。数えてみると20数名はいるようだ。今の時間ですでにこんな状態なのだから、今夜の小屋泊まりは満員かもしれなかった。梅花皮岳を少し下るとすぐに雪渓で、比較的新しい踏跡が先に続いていた。烏帽子岳との鞍部からはまた夏道に戻る。

烏帽子岳山頂を少し下った岩陰で登山者が一人、風を避けるようにしながら地図を広げて座っていた。ここから先もずっと雪渓歩きが続くのと、ガスもなかなか晴れそうもないので不安を感じている様子である。どうやら私と同じように明日はダイグラ尾根を下る予定らしかったが、梅花皮小屋から飯豊本山の区間は歩いたことがなくて梅花皮小屋に引き返すかどうか迷っているところだった。

烏帽子岳山頂から少し下るとそこから先は残雪歩きだ。夏道はほとんど雪の下に隠れており、見下ろすと御西小屋まではずっと雪庇、雪渓歩きが続くようだった。誰かが歩いたような踏跡も別に見当たらなく、この梅花皮小屋から御西小屋までの区間はまだほとんど歩かれていない様子である。烏帽子岳山頂で出会った単独者は少し離れて後ろをついてきていた。結局、御西小屋に行くことにしたようである。

梅花皮小屋を出てからいったんは青空がときどき顔をのぞかせたりしたものの、ガスが終始流れていて視界が悪く、まだ昼過ぎなのに薄暗くさえ感じるほどだった。全く週末の天候の悪さには落胆するばかりである。残雪に覆われた天狗の庭を通過すると、天狗岳から御西小屋はまもなくである。この辺は、夏道が想像できないくらいの残雪が残っていて大雪庇になっているところだ。御西小屋に向かう途中からいよいよ霧が深くなり、小屋が目前なのにたちまち見えなくなってしまった。

ようやく到着した御西小屋には誰もいない。気温はかなり低くてまるで冬山のような寒さだ。天候は明日に期待するしかないようだった。30分ほどすると後ろを歩いてきていた単独者が無事に小屋に到着してきたので、少しホッとした。足が疲れたといい、相当バテている様子だった。

陽射しもないので、小屋の中は既に日が暮れたような感じが漂っている。二人とも早速、夕食の準備を始めた。単独者は新潟の石墨氏といい、予定では翌日、大日岳をピストンしてからダイグラ尾根を下るらしかったが、大日岳は体力的にも無理と判断し、あきらめたようである。明日は一緒にダイグラ尾根を下ることにした。

御西小屋まではビールを励みにきつい登りを耐えてきたのだが、あまりに寒いのでビールを飲む心境ではなくなっていた。しかし喉は乾ききっているので、汗をしぼりとられた体にビールが染み込んでゆくようだった。それから私は新潟の石墨氏からいただいたワンカップでしたたかに酔ってしまい、そのまましばらく眠ってしまった。新潟の石墨氏もさっさとワンカップを飲んでしまうと疲れているのか横になって眠ってしまった。

御西小屋は我々の2名だけかと思っていたら、5時近くになってヘッドランプを付けた登山者が一人小屋に入ってきた。視界が全くない中、我々の踏跡があるおかげでこの小屋までなんとかたどり着くことが出来た、と何回も繰り返し感謝される。相当難儀しながらたどり着いたものと思われた。その人はこの飯豊連峰は初めてらしく、自宅の東京から飯豊山荘までは10時間かかって到着したという。初めて飯豊に来てこの悪天候の中を御西小屋までよく来たものだなあ、と感心するばかりだ。明日は大日岳をピストンした後、ダイグラ尾根を下るらしかった。

[2001.6.3]
翌朝は4時過ぎに起床した。寒いので早くから目が覚めていたといったほうが正直なところだった。吐く息は真っ白である。冷えるので防寒着の上から更にウインドブレーカーを羽織る。東京氏はすでに朝食を食べ終えており、大日岳に向かう準備をしていた。そして4時半には小屋を出ていった。小屋の外に出てみると、深い霧のために視界がほとんどなかったが、上空は青空が透けて見えるような状態で、だんだんと晴れ出す気配がした。

新潟の石墨氏と二人で6時前に御西小屋を出た。ガスの間から朝の強い日射しが覗き始め、だんだんと姿を現しつつある大日岳や北股岳が美しい。本山手前の駒形山直下まではなだらかな雪渓歩きが続いた。朝の清々しい風が全身を撫でるように流れていった。青空を背景にして快適な雪上の歩きに二人とも言葉もでない。昨日の悪天候がウソのように晴れてゆき、心は満ち足りた思いになっていた。小屋から1時間足らずで飯豊本山に到着すると、4人の若いグループがちょうど本山小屋から登ってきたところで、山頂はひとときにぎやかになった。4人は川入から昨日登ってきたらしかった。我々は小休止したあと、いよいよダイグラ尾根を下り始める。

宝珠山との鞍部付近まで一気に標高を下げると早速雪渓が現れた。広くて巨大な雪庇だ。そこからはいくつものピークの上り下りが連続するところで、しばらく雪庇歩きが続いた。わずかに出ている夏道ではカタクリが多く目に付いた。ダイグラ尾根にやっと遅い春が訪れたようである。宝珠山を過ぎると今度はシラネアオイの群落が続く。今年はじめて見るシラネアオイだった。

雪道は歩きやすい反面、雪庇はそのほとんどが急勾配となっているので緊張するところだ。滑れば下まで止まらないだろう。急斜面ではストックを2本束ねて、簡易グリセードで下った。宝珠山の最後のピークからの大きな急斜面はストックのグリセードだけでは制動をかけられそうもないので、ここでは背中からピッケルを抜いた。新潟の石墨氏は安全のためにアイゼンを装着して下った。このへんはスリルを感じながらも、この残雪期のダイグラ尾根ではクライマックスの部分といえる箇所でもある。

多くの残雪を抱いた飯豊連峰の大パノラマを、常に左手に眺めながらの尾根歩きがずっと続いていたが、それも休場の峰までである。ここからは展望のない樹林帯をひたすら下るだけだった。休場の峰から一気に桧山沢の吊橋まで下る予定だったのだが、一緒に下ってきている新潟の石墨氏はかなり疲れている様子である。途中の水場の標識があるところで一度休憩をとった。水場はもちろんまだ雪の下である。その先の池の平(種蒔の池)もまだ雪渓に覆われていた。ここはモリアオガエルが多く生息する池なのだが、もちろんまだ何の姿かたちもなかった。

桧山沢の吊橋には全身汗だくになりながら到着した。新潟の石墨氏は10分近く遅れて下りてきた。半分予想していたことだが橋板はまだ取り付けられていない。良く見ると鉄製の太いパイプなどは折れ曲がり、吊橋はかなり破損している模様だ。ワイヤーだけでも張られていることを期待していたのだが、それも分断されているので吊橋を渡ることは全く不可能だった。しょうがないので桧山沢を渡渉するしかないかと、川原に降りて渡渉可能な地点を探してみたが、本流の流れが速くて渡るのは危険だった。結局安全策をとることにして上流の雪渓が残る地点まで遡ることにした。吊橋の支点から上流に向かうには登山道はないのでヤブを漕いで雪渓に下り立った。雪渓の下は大きな音と共に沢水が勢い良く流れていて、いわゆるスノーブリッジになっているのだが、雪渓は薄く、決して安全とはいえない箇所である。少しでも厚みがある部分を慎重に対岸に渡った。渡り終えたところでやっと今回のダイグラ尾根が終了したのを感じた。桧山沢の冷たい水を頭から浴びる。強い陽射しが全身を照りつけていた。

ここからは山道をわずかに登って林道に出る。そして温身平まで来れば今回の山行も終わりに近い。分岐の標識が立つ地点で石転ビ沢を眺めると、午後の強い日射しの中で景色全体が妙に白っぽく見えた。霞がかかっているのかも知れなかった。温身平では家族連れや熟年の夫婦連れが散策を楽しんでいた。

駐車場で新潟の石墨氏と別れてからは、梅花皮荘の温泉で汗を流した。梅花皮荘周辺では初夏の陽気に誘われた観光客でごったがえしていた。



石転ビ沢の出合から稜線を仰ぐ
[2001.6.2撮影]



濃いガスが降りてきて薄暗い北股沢の出合付近
中ノ島はまだ雪の下に埋まっている
[2001.6.2撮影]



北股岳と梅花皮小屋
梅花皮岳への登りの途中で
[2001.6.2撮影]



御西小屋からみる飯豊の主稜線
左奥は北股岳
[2001.6.3撮影]



ようやくガスが晴れる大日岳
御西小屋の前から
[2001.6.3撮影]


飯豊本山から見るダイグラ尾根と宝珠山
[2001.6.3撮影]



本山を下りはじめてから40分頃
夏道はほとんどなく、今の時期はこの雪庇の上を歩く
[2001.6.3撮影]


飯豊連峰の大パノラマが広がる
宝珠山の一角で
[2001.6.3撮影]



宝珠山
いたるところに急斜面の雪渓が残る
ここはグリセードで下る
[2001.6.3撮影]



急斜面をグリセードで下る。
宝珠山の標識が立つ付近で。
石墨氏はアイゼンを使用して下っている
[2001.6.3撮影]



桧山沢にかかる破損した吊橋
まだ橋板も、ワイヤーもないので渡れない
[2001.6.3撮影]



吊橋の上流のスノーブリッジを利用して対岸に渡る
雪渓は薄いので危険である
[2001.6.3撮影]


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