山 行 記 録

【平成13年5月19日(土)〜20日(日)/朝日連峰 針生平から大朝日岳〜長井葉山縦走】



平岩山付近から見る大朝日岳
風が強くなり雨も混ざってきた頃[2001.5.19撮影]



【メンバー】単独
【山行形態】夏山装備、避難小屋泊、日帰り
【山域】朝日連峰
【山名と標高】北大玉山1469m、平岩山1609.0m、大朝日岳1870.3m、大沢峰1484m、御影森山1533.9m、
       前御影森山1435m、中沢峰1343.3m、八形峰1289m、葉山1232m
【天候】(19日)曇り後雨、(20日)曇り
【行程と参考コースタイム】
[2001.5.19]
大石橋650〜角楢小屋740〜蛇引の清水930〜森林限界1000〜大玉山分岐1032〜北大玉山1045-1055〜平岩山1140〜大朝日岳1230〜大朝日小屋1240

[2001.5.20]
大朝日小屋620〜大朝日岳630〜平岩山710〜御影森山830-835〜前御影森山〜中沢峰1000-1020〜焼野平1105〜八形峰1200〜葉山山荘1300-1305〜オケサ堀1420〜草岡1530

【概要】
大朝日岳から御影森山、中沢峰、長井葉山と各ピークをつないで長井市草岡に至るコースは、その昔、朝日軍道と呼ばれ、朝日連峰への主要なルートだったのだが、その長い道のりからか今はほとんど歩かれることがなくなったコースである。なにしろ草岡から大朝日岳までは水平距離にして約21kmもある。あの飯豊連峰の中でも長大なコースとして知られるダイグラ尾根も、飯豊本山から天狗平までは10kmほどしかないのだから、これは本当に長い。大朝日岳の山頂から、連綿と続く縦走路の先に長井葉山を眺めた時、はるかかなたに見える、といった印象は決して大袈裟ではないのだ。また平岩山から御影森山への尾根道は櫛形尾根ともよばれ、いくつかのピークを越えなければならない。さらに御影森山から先も大小のアップダウンがいくつも続くことを考えれば、ここは朝日連峰でもとりわけ難路中の難路のひとつだろうと思う。

私は大朝日岳から長井葉山への区間は6年前の秋に1度だけ歩いている。その時は朝日村の泡滝ダムからの縦走で、中沢峰から葉山山荘までは雨が降りしきる中をほとんど駆け足で歩いたためか、長いコースを歩いた割合にはどうも楽しんで縦走した記憶がなかった。そのためいつかはのんびりと長井まで駆け抜けてみようと前々から考えていたものである。御影森山から先はほとんど登山者も訪れないコースだけに登山道の道形もはっきりしていない。気軽に縦走できるコースではないが、折しも今はちょうど残雪期。天候にさえ恵まれれば快適な雪上歩きができるはずで、連日の好天で残雪が消えてしまう前に、6月に予定していた計画を早めて、今回縦走することにしたものである。

[2001.5.19]
大石橋の駐車場に新潟ナンバーが1台留まってあり、登山者(N氏)が一人ちょうど出発するところだった。以東岳までのピストンで今日は大朝日小屋泊まりだというから小屋までの行程は一緒である。N氏は大きなザックを背負い先に出発していった。
大石橋のたもとで登山者カードを記入していると、今度はHP「飯豊朝日連峰の登山者情報」でお世話になっている小国町の井上邦彦氏に出会う。井上氏も蛇引尾根を登るところであった。二日酔いのためにどうもすっきりしないと言いながら、大朝日岳を日帰りだというから驚きだ。みると軽快なズック履きである。登山者カードを書き終えて外をみるともう井上氏の姿はなかった。あっというまに吊橋を渡って先にいったようである。まさに山形の天狗だなあ、と思わずにはいられない。

祝瓶山への分岐を過ぎ、吊橋で対岸に渡る。荒川を遡りながら水平な登山道を進む。この辺はもうすっかり夏道だった。辺り一帯は太古からのブナの原生林が続くところだ。朝の涼しい風が吹いていて、歩いていても実にさわやかである。付近はムラサキヤシオが盛りだった。丸太の一本吊橋を渡るとまもなく角楢小屋である。素朴で簡素な山小屋だ。声をかけてゆこうと中をのぞいてみると登山者が2人食事中だった。

大玉沢にかかる細木の一本吊橋を渡るとすぐに尾根への取付で急登が始まる。気温はそう高くないのに風がないので汗が噴き出した。ひさしぶりにメガネを外して登る。いくら汗を拭いても拭ききれないので滴るままにほおっておくとぼたぼたと地面に汗がこぼれた。急坂の途中で新潟のN氏が腰をおろして休憩していた。一声掛けて先にゆかせてもらう。

ムラサキヤシオ、ムシカリ、タムシバ、イワカガミが咲く登山道をさらに登り続ける。たちどまると汗の匂いにつられて大量のブヨが顔にまとわりついて閉口した。途中、「蛇引の清水」と書かれた新しい標識がある。以前と場所が違っており、水場は水平に左にすすむだけだから楽だったが、沢は多くの残雪に埋まっていてまだ水は取れない。右手には祝瓶山や大玉山が見え隠れしていた。

更に急坂を登ると登山道には雪が現れ始め、そこからはわずかの登りで見晴らしの良い尾根に飛び出した。登山道の左側には残雪が大きな雪庇となっている。この雪渓を掘って空になった水筒に残雪を詰めた。前方には北大玉山のピークと右には大玉山と祝瓶山が聳えている。登山道はまもなく野川口からの道が合流し、ひと登りで北大玉山だった。このあたりはヤマザクラ(ミネザクラ)が盛りで朝日連峰は今、ようやく春の季節を迎えたところだった。腰をおろして10分ほど休憩した。上空にはいままで青空も一部見えていたのだが、ここにきて空一面に薄黒い雲が広がってきていた。いつのまにか肌寒いような風が吹いている。どうやら雨雲が近づいているようである。しかしここまでくれば長い蛇引尾根も先が見えてくるころである。大朝日岳まではなんとか天候は持つだろうと、また重いザックを担いだ。

平岩山のピーク手前からはトラバース道を進み大朝日岳に向かう。道は笹が塞いでいるためにちょっとわかりずらくなっていた。ここから大朝日岳までは相変わらず風が強いところだ。風速は10m前後はあるだろうか。風にも耐えなければならないので疲れがいっそう増す気がした。ここまでTシャツ一枚で登ってきていたが大朝日岳への急坂では、冷たい風に加えて雨も混じってきたために途中から雨具を羽織った。山頂が近くなった頃、日帰りで大朝日小屋を引き返してきた井上氏に再び出会う。井上氏は倒れた鉄製の細い標識を直しながら下っているところだった。我々は歩かせてもらうばかりで全く頭が下がる。話を聞くと井上氏は小屋でビールを飲みゆっくり食事をしてきたというのだから、その脚力にはあらためて驚かされた。約9時間の標準コースを4時間ちょっとで大朝日岳に登っている計算になるのである。

井上氏と別れ、さらに山頂までの急登を続けた。空は一面の厚い雲に覆われて、周囲はまるで夕暮れのような薄暗さだった。遠くで雷鳴も聞こえていた。風がますます強く吹き付ける中を、ようやく大朝日岳山頂に到着した。と、その時である。ストックを持つ両手がビリビリとしびれて、反射的にストックを地面から離した。恐る恐るもう1度ストックを突くとやはり同じように電気が走る。軍手をしていたのだがそれでもすごい衝撃である。考えるまでもなかった。雷雲は早くもすぐそばまで来ているのだった。大朝日岳山頂は周囲の峰峰から突出しているので、いわば避雷針と同じだ。ためらっている余裕などなかった。急いで山頂を後にして大朝日小屋に向かって走った。小屋が見える地点まで下ってきて、やっと雷の恐怖が薄らぎ、一息つくことができた。

途中、井上氏から教えてもらった小屋上部の雪渓で水作り用の雪をビニール袋に詰める。大朝日小屋に到着したところで強風と横殴りの雨となった。天気予報とは違って大荒れの天候に変わってきていた。小屋に入り窓から見ていると瞬く間にガスが周辺を覆ってしまい、視界もなくなってしまった。山の天候の急変には驚くばかりだ。雨と風はなんとかなるにしても、雷はやはり危険である。この小屋に向かいつつある新潟のN氏は大丈夫だろうか。井上氏も下りとはいえこの天候では難儀するだろうと思われた。

小屋の二階にザックを下ろし、落ちついたところで遅い昼食を作りながら一人でビールを飲む。そしてシュラフにくるまっていると冷えた体も温まりいつのまにか眠ってしまったが、入口のドアを開ける音で目がさめた。新潟のN氏は2時頃になってようやく小屋に到着したところだった。聞いてみると、激しい雨風に加えて視界もなくなり、相当厳しい状況だったようである。

その後しばらく文庫本を読みながら時間をつぶす。そして暗くなったところでローソクに火を灯し夕食の準備を始めた。土曜日とはいえこの天候ではそう登山者もそう来ないだろうと思っていたら、結局2人だけの小屋泊まりとなった。天候は夜になっても一向に快復しなかった。強風は吹き荒れ、雨は一晩中屋根を叩いた。

[2001.5.20]
翌日、雨は上がっていたものの風は相変わらず強い。雲の中にすっぽりと入っているのかガスが一面で視界はあまりよくなかった。今日は長丁場なので4時には起床し、5時過ぎには小屋を出たかったのだが、こうも視界が悪いとなかなか動く気にはなれなかった。御影森山から葉山へは一度だけ歩いているとはいえ、今回は夏道よりも残雪歩きが主体である。視界がないとルートファインディングは極端にむずかしくなりそうだった。朝食を食べて様子を伺うものの、天候は一向に快復する兆しもない。しかし天気予報では東北地方も高気圧には広く覆われそうなので、途中から天候が快復することを期待して出発することにした。新潟のN氏は5日間も休暇を取ってきているので、天候が回復するのをのんびりと待つつもりらしかった。朝からずっとシュラフに入ったままである。

小屋を出ると視界は5mぐらいで10m先は全く見えなかった。湿気を含んだ濃いガスが強風に運ばれて正面からぶつかってきた。雨さえ降らないものの、目の前の光景はまるで冬山で吹雪に出会っているようなものだった。風は冷たく軍手を突き刺してくる。冬用の手袋はまだ必要だったなあ、とあらためて反省した。鼻水が一瞬のうちに遠くに飛び散った。

大朝日岳山頂も全く視界がなく、すぐに平岩山に向かって下り始めた。足下の登山道だけしか見えず、へたをすると間違った方向に下るおそれもあったのだが、井上氏が昨日立て直してくれた鉄製の標識を頼りに先に進む。平岩山からも休憩せずに御影森山へ向かった。下るに従って風はだいぶ弱くなってきたが視界の悪さは相変わらず。状況は全く変わりがなかった。ときどき目の前に大粒の雨が落ちてきたと思ったら、ガスが水滴となって頭に付着したものが滴り落ちてきたのだった。

時間と共に気温が上昇すればガスも晴れるはずだと思っていたので、なるべく急がず歩くように心がけた。しかし写真を撮る楽しみもないので、ただ黙々と御影森山をめざして歩くだけだった。晴れていれば右手に祝瓶山、左手には小朝日岳から鳥原山の稜線をながめながらの快適な稜線漫歩を楽しめるところなのに実に残念である。

大沢峰を下ると夏道が途絶えて雪道が現れた。ガスと雪道では不安になるものの、尾根沿いのコースなのでとくに進む方向が分からなくなるほどではない。何回か上り下りを繰り返してやっと御影森山に到着した。努めてゆっくりと歩いたせいか、あまり疲れていないのがうれしい。ここから先もまだ8時間ほどの行程が続くのだから体調が一番心配だったのだ。小屋をでてからもう2時間も経つのにガスが晴れる気配はなかった。

御影森山から先はわずかに夏道がでていたものの、やがて予想通り残雪が現れて、そこから先はほとんど雪原の歩きとなった。前御影森山の山頂付近はやはりガスに覆われてよく見えない。方角を信じて登ってゆくだけだった。ここも一部夏道がでているもののすぐに残雪歩きになる。夏道とはいっても低い笹が道を塞いでいてなんとなく道だろうとわかるだけである。この辺は整備されていないのでケモノ道同然だった。中沢峰との鞍部までひたすら下る。雪原歩きも細いブナの木がブッシュとなり、なかなかまっすぐに進めないのがもどかしい。最低鞍部まで下ったところでやっと視界がきくようになってきていた。後ろを振り返ると黒々とした厚い雲が御影森山全体を隠していた。分厚い雲から抜け出したとはいえ、まだ遠方まで見晴らしがきくわけではない。中沢峰のピークまではかなりの急斜面だ。アイゼンもピッケルも持ってきてはいなかったので、ストックを頼りに慎重にキックステップで登った。

中沢峰の山頂には葉山山荘や祝瓶山を示す木の標識が無造作に放置されている。折れて、半分朽ちているので方角はあてにはならなかった。山頂で腰を下ろしていると少しずつ日が射しはじめてきた。本当に久しぶりの日射しのような気がした。視界は100メートルくらいにはなっただろうか。正面には比較的大きなピークがガスに見え隠れしていた。地図をみるとどうやら焼野平である。そのピーク付近から右に稜線が続いているはずなのだが、あいにくガスに隠れてその先のルートがどうもはっきりしなかった。終始、緊張感を強いられているせいか、喉がカラカラだった。冷たい水筒の水が美味しかった。

中沢峰を後にして焼野平を目標に雪原を下る。割合に広い尾根になっているので、視界がないときは間違いなく迷いそうな箇所だ。この辺からブナの枝に古い赤や青のビニールテープが時々目に付くようになった。ルートが間違っていないのだとわかるのでこんなテープでも心強い。焼野平へ登り返しも同じ様な雪原を進む。ピーク近くで雪庇歩きから夏道に戻る。傾斜が緩くなり右に卷くようにしながら徐々に下ってゆく。今度は南斜面なので雪がほとんど見あたらなくなった。周囲は新緑のブナ林なのだが、足下の登山道は枯れ葉で埋まっており、まるで秋の山道を感じさせるところだ。このあたりは焼野平とはいえ、山の斜面が続くだけでどこが平らなのかよくわからなかった。

大きく山を回り込み見晴らしの良い地点に出ると今度は右方向に直角に下る。標識はないが標注部分だけが横たわっているところだ。前方の1245mの峰を仰ぐと、中央の尾根を境にして、西側には新緑のブナ林、東斜面は残雪の白さと、ちょうど対照的だった。ここからは再び残雪歩きだ。小さなアップダウンを何回か繰り返しながら南東の方角に進む。広い雪原に出ると尾根がわからなくなることもあったが、方角を信じてかまわずブナ林を突っ切った。すると忘れた頃に古い赤布が現れたりするのでルートはそれほど間違ってはいないのだなと判断できた。そんな行動がしばらく続いた。いよいよ南北に走る葉山の主稜線が近づいていた。

ブナの樹林帯が広がる雪原の斜面をしばらく登り続けると、ようやく前方が広く開ける地点に飛び出した。地図を見るとどうやら1264mのピーク付近に立っているらしかった。葉山山荘そのものは遠くて良くわからないが、葉山神社の周りの杉の大木が目印なので、おおよその見当をつけて進むことにした。手前には湿地帯も俯瞰できた。葉山湿原だった。

湿地帯を横切り、大きな雪庇を登り詰め、さらにブッシュのような潅木帯を突っ切って、ようやく葉山山荘に到着した。誰もいなかった。非常に疲れていた。食欲は全くなく喉だけがカラカラだった。軒下に腰を下ろして、ザックにしのばせていた果物の缶詰をあける。この甘くてみずみずしい果物がことのほかおいしい。冷たい水は体中の隅々まで滲みて行くようだった。

長井葉山は先週登ったばかりである。雪原歩きは前回とそう変わりはないのだが、この1週間で急速に雪解けが進んでいた。雪面から飛び出してきた潅木がブッシュとなって行く手を遮り、先週と同じコースは既に歩けなくなっている。ところどころの夏道を探さないと先に進めなくなっているのだ。通い慣れた葉山からの下りとはいえ、残雪の時期には広く平坦な雪原が災いしてかなり迷いやすいので、なかなか気を抜けなかった。思いの外、苦労しながらの下りが続いた。ここにきてまた空一面に薄黒い雲が広がり、ガスも漂い始めて視界が悪くなってきていた。しかし、ここまでくれば後は強引に下るだけである。それから1時間ほど下ったところでほとんど夏道が続くようになり、ようやく緊張感から開放された。

オケサ堀では2日間の汗まみれの顔を洗った。雪解けの冷たい沢水がうまかった。ここからは1時間も下れば草岡だ。
オケサ堀には柔らかい薄日が斜めから差し込んでいた。日が傾きかけた小屋の敷地跡を眺めながら、大朝日小屋を出発してからの今日一日の行動を振り返ろうとしてみたが、疲労は極限状態でなかなか思い出せないでいた。ただ、視界がない状況の中でもなんとか残雪期のコースを無事に縦走することが出来て、気持ちだけは不思議と高揚していた。



角楢小屋手前の一本吊橋



角楢小屋
小屋の中では2人が食事中だった



北大玉山手前から見る祝瓶山
左上は大玉山の稜線




まだ多くの雪が残る中岳
急激な天候の悪化により夕暮れのように薄暗い
右下には大朝日小屋が見える




中沢峰を下る途中から見る焼野平のピーク
ルートは右の稜線に続くのだが濃いガスのためによく見えない



御影森山
中沢峰の下りで



中沢峰を振り返る
標高が低くなったために厚い雲の中から抜け出し、
少し展望がきくようになった



焼野平の登山道
この付近は不思議に登山道がはっきりしている



焼野平から前方の1245m峰を仰ぐ



焼野平
大きく右に下る分岐点で



まだまだ雪に覆われている八形峰



1264m峰付近
ここにきてやっとめざす葉山が見えてきた
葉山山荘は中央左でやや低いところ
手前の湿地帯はは葉山湿原



葉山山荘近くの葉山湿原
まるで田園のような風景だ


inserted by FC2 system