山 行 記 録

【平成13年4月14日(土)〜15日(日)/出羽三山 月山から肘折温泉】



念仏ヶ原からの月山(2001.4.15早朝撮影)
この辺の積雪はまだ10mほどもあり、小屋は全く雪の下に埋まっていた



【メンバー】単独
【山行形態】テレマークスキーによる山行、冬山装備、避難小屋泊
【山域】出羽三山
【山名と標高】月山 1980m
【天候】(14日)晴れのち曇り、夜は雨(15日)晴れ
【温泉】肘折温泉 共同浴場「上の湯」200円
【行程と参考コースタイム】
1日目 姥沢リフト終点900〜月山頂上1130〜立谷沢橋1330〜念仏ヶ原避難小屋1430

2日目 念仏ヶ原避難小屋600〜小岳730〜大森山1030〜林道除雪の終了地点1145〜肘折温泉バス停1200

【概要】
[2001.4.14]
今週は先週に引き続き月山である。今回は姥沢から月山の山頂を越え、秘境、念仏ヶ原から大蔵村の肘折温泉へ抜ける超ロングコースである。このルートは月山でも最大最長のコースでもあり、山スキーのツアーコースとしては日本でも3本の指にも入るのではと言われるほどで、私は前々から憧れにも近い思いを抱いていた。

今日は午後からは下り坂で夕方には雨が降り出す予報がでている。夜には低気圧通過による雷も心配され、翌日の予報もあまり芳しくはないので気持ちは幾分沈みがちで自宅を出発した。姥沢までは、当初、マイカーとバスを乗り継いで姥沢まで行く予定だったのだが、カミさんが送ってくれることになったために、予定していた時間より早めに姥沢に着くことができ、少しだけ余裕を持っての出発となった。

リフトの終点まで来てみると、天候は予想よりもだいぶ良く、上空には青空が広がっていた。早速シールを貼って歩き始める。今回は姥ガ岳には登らずにまっすぐ牛首をめざした。一昨日から平地で降り続いていた雨は、高い山ではやはり雪だったようで、古い雪面の上にところどころ新雪が数センチ積もっていて、遠くから見るとまだら模様に見えた。登るにしたがい雪面は堅くなり、鍛冶小屋直下の急斜面ではほとんどの人がスキーを担いでいる。私は直登は無理だったがシール登行のまま、ジグザグになんとか登り切った。

月山の山頂でシールを外す。ここまでお互いに前後しながら登ってきていた福島からの4人グループが、すぐ近くでシールをはがして滑降の準備をしていた。皆、大きいザックを背負っているので、聞いてみると私と同じく念仏小屋までという。周囲には月山を超えてツアーをするような人は他には見あたらず、肘折温泉へと向かうのはとりあえず我々5人だけのようだった。

月山山頂からの東斜面は大雪城と呼ばれ、広大な斜面が広がっている。今日は念仏小屋までの行程なので特に急ぐ必要もなく、この万年雪の広がる大斜面を惜しみながら下っていった。先を行く4人は、エッジが効きにくいアイスバーンも、山スキーのためか、なんの苦もなく滑っていったが、私は堅い雪面は苦手で、ゆったりとしたテレマークターンで下った。途中ダケカンバなどの潅木が目立つ地点で立ち止まる。40度近いと思われる急斜面が下に伸びていた。ここが千本桜と呼ばれる所だろうか。ここは横滑りで凌いで下った。下りきった尾根上でようやくザックを下ろして昼食をすることにした。山頂付近で吹いていた強風もこのあたりでは無風状態だった。献立は例によってテルモスからお湯を注ぐだけのカップラーメンだが、春の暖かい陽射しを浴びながらの休憩は、ただ雪の上に座っているだけで心が洗われてゆくようだった。命の洗濯とはよくいったものである。

この先は割合に広い支尾根に入りながら右の沢を下る。かなりの急斜面で雪崩も心配なところだ。すぐ先を先客の4名パーティがそれぞれ思い思いに斜面を滑っていた。下りきったところがどうやら立谷沢らしかったが、まだ一面雪原である。沢に架かる橋などまだまだ数メートルも雪の下のようだ。ここでシールを再び貼って沢を登ってゆく。登り切ったところから左のブナ林をひと登りすると、やっと念仏ヶ原の一角に飛び出した。ここからは大雪原がはるか向こうまで続いている。ここで先の4名と合流し、一緒に小屋までのんびりと歩き出した。みんな小屋の屋根くらいはでているだろうか、とずっと不安を抱きながらの歩きである。振り返れば月山山頂からの斜面が幾重にも重なって続いていたものの、下ってくる人は別に見えなかった。

地図を確認しながら小屋付近まで来たところでザックを下ろした。しかし見渡すかぎり、平らな雪原が広がっているだけで、避難小屋が建っている雰囲気などはどこにもなかった。小屋はまだまだ雪に埋もれていたのである。がっかりだったが私はツェルトを張る予定をして、4名は雪洞を掘るしかないだろうとしばらく立ち話しながら一休み。それでも4名の中のリーダーらしき人(加藤さん)が小屋を探してみようかと、ゾンデ棒を取り出した。するといくらも刺さない内にゾンデ棒が何かに突き当たった。

埋まったブナの木かもしれないと思いながらも、その部分をスコップで掘り起こしてみると、1・5〜2mほども下から出てきたのはちょうど小屋の屋根の一部分だった。信じられないことにその人は、広く平らな雪原の上から一発で小屋らしきものを当ててしまったのである。そこはちょうど屋根の頂点付近らしく、そこから小屋の形をみんなで推測しながら入り口付近の部分の掘り出しが始まった。スコップといってもみなスキーツアー用の小さく華奢なプラスチック製である。最初は勢いもあって掘り進むのだが、深くなるに従って雪を上に掻き出すのに苦労をした。斜面に雪洞を掘るのと違って真下に掘り進むというのは並大抵の作業ではなかった。

なかなか作業がはかどらず時間だけが過ぎた。4名パーティの内二人は女性だったのだが、小柄なのに代わる代わる雪を掻い出す作業を続けた。しかし入り口の一部分だと思って深く掘り下げたところが、単なるアルミの覆いだったとわかると、一同皆がっかりして力が失せて行くようだった。ふと時計を見ると時間はもう4時半。掘り始めてから2時間が過ぎている。だんだんと日も暮れつつあった。入り口さえ見つかれば少しは元気も出てきそうな気がしたが、あまりの雪の深さと体力の限界もあって、結局、我々は小屋への入口が見つけられずに、小屋泊まりはあきらめざるを得なかった。しばらくして私は少し離れた林間にツェルトを張り、4名はせっかく掘った穴だからと、雪洞として利用することに決めて、それぞれビバークの体制に移ることにした。

私はツェルトを張り終えたところで、ブラブラと何気なく小屋付近まで戻ってみた。すると新たに月山から下ってきた人が二人、さきほど我々が掘った雪穴の中で、スコップを手に雪をかきだしている。ここまで掘り進めたのだからと、なんとかして小屋に入るつもりらしかった。我々5人は疲れ果ててその作業をただ眺めるばかりだったが、体力が十分ある彼らは小屋の掘り出しを再開してまもなく、2階への冬季用入口を捜し出してしまった。皮肉なことにその入口は、我々が掘り進めた場所のちょうど反対側であった。

探し出したその入口から人が入るためには、更に深く掘り下げなければならず、まだまだ時間も必要だったのだが、そこへ次々と到着してくる、たくさんの人達の協力作業もあって、ついに小屋への入口が掘り出された。日暮近くに到着した大団体は総勢13名ほどにもなっていた。その人達は、今日の早朝に東京を出発してきたのだということを知り、その体力、気力には驚くばかりである。私が最初に出会った4名グループとはおなじ仲間(知り合い)のようだった。

私は一度は張ったツェルトを撤収し、小屋泊に切り替えることにした。日も暮れて宵闇が迫る頃、ようやくみんなが小屋に入ることが出来た。時間は6時30分をまわっている。我々が作業を開始してから既に4時間が経っていた。雪に埋まった小屋は当然ながら中は真っ暗で、みんなヘッドランプで夕食の準備を始める。私は一人ローソクを灯し、ビールを飲みながら今日一日の行程を思い返していた。その夜は予報通り、低気圧通過による雨と強風が吹き荒れた。

[2001.4.15]
2日目は大荒れか、雨の予報が出ていて覚悟はしていたのだが、真っ暗な小屋をでてみるとなんと快晴!強風が吹いてはいたが月山が青空を背景にして、白く輝いていた。例の団体はスキーの初心者がいるとかで、5時過ぎには出発してしまい、小屋には誰も残っていなかった。私はのんびりと朝食を済ませ、団体の1時間遅れで小屋を出た。振り返ればこの念仏ヶ原から見る月山は、朝日を浴びて、その神々しさに息を呑むほどだった。

雪面は昨夜の雨と強風のためにアイスバーンに変わっていた。しかしこの予想外の好天に不満があるはずもなく、快適なテレマークスキーだ。小屋の裏手から1185mのピークに登り、シールを外してひと滑りする。滑りきったところは平坦な雪原でまたシールを貼った。小岳までは左手に月山を眺めながらのシール登行が続いたが、残念ながら小岳の山頂でこの雄大な月山の光景からもお別れである。

ここからのルートはまず赤沢川源頭から沢沿いに滑り、赤沢川二股からシールを再び貼って978mピークに登る。この先、ガイドブックでは夏道の急な細い尾根に入るとあるのだが、団体のトレースはネコマタ沢へと続いており、私もおなじルートを滑る。この沢も急斜面で雪崩が恐い箇所だった。下りきった地点から再びシールを貼り正面の尾根を登る。尾根をたどると今度は急斜面のトラバースがしばらく続いた。その途中のブナの木に標識がぶら下がっているので、このルートは夏道なのだな、とわかる。やがてたどり着いたところが大森山のコルで、ここの尾根沿いは雪が既に解けていた。ガイドブックではこの大森山の急斜面は南面を卷くように書いてある。しかし先を行く団体のトレースは大森山の山頂に続いていて、何人かが急斜面をスキーを担いで登っていた。ここは今回のコースで一番の急斜面だった。

陽射しが強く汗もしたたかに流れたが、沢を吹き上がってくる風は涼しく爽やかで、疲れた体が癒されるようだった。あえぎながら登り切った大森山の山頂で、先の団体にやっと追いつく。最後の登りを終えてみんなで一息を入れているところだった。朝から続いたアップダウンもここにきて、ようやく終息を迎えていた。あとは最後の滑りが待っているだけである。樹林帯の急斜面をなんとかやり過ごし、沢を下りきると林道の終点らしかった。林道といってもまだ厚い積雪に覆われていて、肘折温泉まではまだ滑って行くことができるようだ。ジグザグに林道を滑って行き、やがて遠くに肘折温泉の街並みが見えてくると、長いツアーコースも終わりに近い。温泉街の手前1km付近から滑走ができなくなり、そこからはスキーを担いだ。そして温泉街に入り、山形交通のバス待合所に到着したところで今回の山行が終了した。

肘折温泉では共同浴場に入った後、ビールで一人祝杯をあげ、板そばで今回の山行を締め括る。2日間の長かった行程を思い浮かべながら食べた、この肘折温泉のそばの味はなかなか忘れられないような気がした。肘折温泉からは予定どおりバスと汽車を利用して帰宅の途についた。



多くの人達で賑わう姥沢リフト終点
正面は姥ガ岳(1670m)



月山の頂上をめざす登山者たち(牛首付近)



月山の東面、月見ガ原付近から見る念仏ヶ原(正面)
ここからは立谷沢橋まで下り、再び登り返さなければならない


秘境、念仏ヶ原を歩く
正面は1185mのピーク



小屋の掘り出しを断念し、一時はツェルトを林間に設営したが
後で撤去する



ここまで先着の我々5名が小屋を掘り出した
バンダナを被っている人が一人、掘り出しの作業を再開しているところ。
見えているのは2階の天窓のような部分で、上を覆っているのはスキーと
ツェルトを利用して作った4名組のビバークサイトの名残りである




やっと入ることができた念仏ヶ原の避難小屋で
一人夕食を楽しむ
ローソクの明かりが優しい




小岳から下った、赤沢川の源頭付近
まだ、昨夜の雨が凍っていてアイスバーンに近い




ここは林道終点だが、まだまだ積雪が多い
長いツアーもここまでくれば一段落だ




林道を下る途中で肘折温泉が見えてくると
長い行程も終わりに近い


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