山 行 記 録

【平成13年1月6日(土)〜9日(火)/南アルプス 鳳凰三山 薬師岳まで】



南御室小屋前で幕営する[2001.1.8早朝]



【メンバー】2名
【山行形態】アイゼン、ピッケル、ワカン、無線、携帯、テント等の冬山装備、(テント、冬季小屋泊)
【山域】南アルプス
【山名と標高】鳳凰三山 薬師岳 2,780m
【天候】6日(晴れ)、7日(曇り後雪)、8日(曇り後晴れ)、9日(晴れ)
【温泉】芦安温泉「岩国館」800円
【行程と参考コースタイム】
(6日)自宅==(JR)==甲府−−(車)−−夜叉神峠登山口(テント泊)
(7日)夜叉神峠登山口900〜夜叉神峠1030〜南御室小屋1530(テント泊)
(8日)南御室小屋900〜薬師岳小屋1200-1230〜南御室小屋1340(冬期小屋泊)
(9日)南御室小屋800〜夜叉神峠〜夜叉神峠登山口1200

【概要】
南アルプス鳳凰三山は5年前の夏に夜叉神峠から北沢峠まで単独で縦走している。今回はその同じコースを積雪期にと計画したのだが、正月早々からの大雪による、山形新幹線の遅れや運休のために予定どおりに現地に入ることができなかったことと、また南御室小屋では予想以上の大雪に見舞われたたことなどが重なり、予定していた縦走は取りやめ薬師岳へのピストンだけの山行になったものである。
甲府の友人、宮本氏との冬山は約1年前の塩見岳以来である。

(第1日)
甲府駅で合流した後、宮本氏の車で夜叉神の森に向かう。夜叉神峠登山口に到着するころはすでに薄暗くなっていた。駐車場には10台前後のマイカーが留めてあり、この3連休の鳳凰三山は相当に賑わっているようだった。ヘッドランプを点けながら、すぐに休憩舎のそばにテントを設営する。夜は持参した山形の芋煮と途中で仕入れた材料を併せて即席ホウトウをつくる。そしてホットウィスキーで再会を祝して乾杯した。

(第2日)
翌日、我々がまだ寝ている間に何台か新しく車が到着しては、何人かのグループが早々と登っていった。我々はゆっくりとテントから起き出して出発した。登山道にはほとんど積雪はなく、うっすらと雪化粧しているといった程度である。登るにつれて積雪もだんだん増してはきたが、それでも10〜20cmぐらいで、東北から見ればほとんど晩秋か初冬の雰囲気だ。前日までは快晴が続いていたらしかったが、今日は朝から薄曇り状態で、天候は下り坂である。重いザックにあえぎながら登りきった夜叉神峠の標高は1770mあり、雪に覆われた北岳から間ノ岳、農鳥岳へと続くおおらかな白峰三山が正面に眺められた。

夜叉神峠から杖立峠まではいったん下ってから急斜面を登って行く。昨日登った人なのだろうか。この区間で下山してくる何人かの登山者にときどき出会った。ほとんど単独行の人だった。まだ連休の中日だったが、天候の悪化が予想されるのために早めに下山してきたのかも知れなかった。杖立峠から南御室小屋までも樹林帯が続くところだが、苺平手前で前方が明るく開ける場所がある。山火事跡と呼ばれるところで、天候が荒れればここは烈風に晒されそうな場所だ。そこからはまもなく苺平で、少し小休止したあと、南御室小屋までは緩やかな下り坂。このへんの積雪は30cm前後だが、トレースもしっかりとあって歩くのにはなんの支障もなかった。

到着した南御室小屋には、小屋の入口部分に設けられた避難室のような場所と、水場のそばには小さな冬期小屋もあったが、両方とも先客の登山者で一杯である。また樹林帯の中では既にテントが2張り幕営中だった。我々は小屋前のテン場に小雪の舞い始めた中、テントを設営した。テントを張り終える頃には雪はいよいよ本格的に降り始めていた。ラジオではこの甲信越地方や関東地方における、翌日からの悪天候や大雪に関する注意をさかんに呼びかけている。夕食後に宮本氏は「明日は停滞かもしれないなあ」とつぶやいた。その夜は予報通り、休みなしに雪が降り続いた。夜中に何度か起きてはテントに降り積もった雪を叩き落とした。


夜叉神峠から見る白峰三山[2001.1.7撮影]



(第3日)
朝、テントから顔だけを出してみると、一晩中降り続いていた雪は止んでいた。薬師岳の方角には雪雲がまだ残っている感じだが、東の空がほんのりと明るく好天の兆しが伺える。昨夜からの新たな降雪は50〜60cmほどで、外に出て雪の状態をみると、ツボ足では膝上まで潜るもののワカンをつければなんとか登れそうである。宮本氏はシュラフに潜り込んだまま停滞を決め込んでしりごみをしていたが、それでも外の天候をみると起き出した。ラジオを聞いていると、山梨県では大雪警報がでていて、ほとんどの交通機関がマヒしているようだ。また剣岳や穂高など北アルプスでは、雪崩などによる遭難死亡事故が多数発生しているようだった。このような状況も考えて、我々は予定していた北沢峠までの縦走はあきらめて、行けるところまで行くにしても、無理はせずにとりあえず薬師岳を目指すことにした。一応安全を考えてアイゼンは持つことにして、行動食や防寒着だけをザックに突っ込み、テントの外で二人ともワカンを装着する。小屋の周辺は人の気配がなく、シーンとして静まり返っていた。新雪につけられた踏跡は夜叉神峠に向かっているものだけである。なんとなく不審に思ってあらためて確認すると、小屋の中には誰もいなくなっていた。驚いたことに他のパーティはすでに全員下山していたのである。残ったのは我々2名だけだった。しかしこの予想もしなかった積雪を考えると撤退するのもやむを得ないのかも知れなかった。

小屋の横からはすぐに急登のラッセルが始まった。先に進んでいた宮本氏はこの深雪に苦労し、途中でラッセルを交代した。小屋周辺の標高は約2400m前後。気温はかなり低く氷点下10度は軽く超えているので、アウターの下にはしっかりとフリースも着込んでいたが、この深雪のラッセルにたちまち汗が吹き出してきて、中の防寒着はすぐに脱がなければならなかった。しかし立ち止まるとたちどころに体が震えるほど冷えてくる。行動しているほうが快適だった。トレースが全くない深雪のラッセルは、たとえ平坦な場所の歩きでも重労働だった。深いところでは腰まで潜ってしまい、抜け出すのにかなり苦労した。急斜面では膝や両腕を総動員して目の前の雪をかき崩しながら、一歩一歩足場を固めて登った。雪の抵抗は想像以上に強く、ザックは軽いのにワカンを履いた足が異常なほど重かった。時間がかかるわけである。しかし、私はせっかく南アルプスまで来ながら、晩秋の趣さえ漂う中でちょっと物足りなさを感じていただけに、ここのきついラッセルにかえって充足感を感じていた。宮本氏は体調がすぐれないのか、ラッセルをずっと私にまかせてくれたのがかえってありがたかった。

森林限界を抜け出ても空は相変わらず曇っており陽は差していなかったが、西の空の一部には青空もときどき垣間見えて、だんだんとは晴れそうな気配である。冷たい烈風の吹く中、花崗岩の間を登り詰めると砂払岳山頂だった。稜線の雪はほとんど吹き飛ばされているのだが、登山道の所々に吹き溜まりがあり、ワカンはそのまま装着していた。砂払岳から少し下ったところが薬師岳小屋だった。小屋はちょうど目の前の薬師岳山頂との鞍部に建っている。上から見下ろすと小屋はすっかり雪に埋もれていて、ちょうど屋根だけが見えた。

薬師岳小屋の入口は雪に埋まっていた。雪を掘り出すようにして中に入る。南御室小屋を出発してからちょうど3時間が経っていた。夏道に比べると3倍ほど時間がかかったことになる。ここまで快調に飛ばしてきたつもりだったのだが、天候が悪くほとんど休みなしだったこともあって体は結構疲れていた。小屋の中でしばらく休憩させてもらうことにした。正月は越年の登山者で混雑したのであろうか。入口付近はちょうど食堂になっていて、壁には売店のメニューの張り紙や小屋の管理人からのお知らせ、山の写真などが飾ってあり賑やかだったが、誰もいない小屋の中はシーンとして静まりかえっていた。

ここから観音岳、地蔵岳までは稜線沿いに歩くだけなので、今までのような深いラッセルをしなくとも済みそうだったが、どうせ縦走できないと思うと、何となく二人とも気が乗らず、今日はここまでとすることにした。私は自分が考えている以上に体力を消耗していたようで、もうラッセルのつらさから解放されるだけで安堵する思いだった。

小屋の外に出ると久しぶりに陽射しも戻り、新雪をかぶったダケカンバが群青色の空を背景にキラキラと輝いている。全身に陽が当たると冷え切った体が急速に温まるようだった。白峰三山にはまだ雲が残っていてすっきりとは晴れなかったが、上空には久しぶりに青空が広がっていた。帰り道は我々がつけたトレースを蹴散らすようにして下るだけだった。

南御室小屋に戻っても新たな登山者はいないようだった。小屋の入り口付近の風の通らない場所で、ひなたぼっこをしながら疲れた体を休ませた。その後、我々はテントを撤収して冬期小屋に引っ越しをした。冬期小屋はちょうど4〜5人ほどが寝られる板の間のスペースがあるだけの粗末な小屋であるが、テントの窮屈さに比べればかなり快適そうである。私は疲れのためか頭痛がひどく、シュラフに入りしばらく眠った。

2時間ほど休むともう外は暗くなっていた。幸い頭痛はいくらか治まったようだった。小屋の中の温度はほとんど隙間だらけのために外気温と全く同じで、また午後からの好天による放射冷却現象もあり、夕方からは急速に冷え込んだ。私はヘッドランプをつけて夕食の準備を始めたが、宮本氏は体調がすぐれないのかスープを少し飲んだだけで夕食はほとんど食べなかった。就寝前に外に出て夜空を見上げると満天の星空である。空気が澄んでいるためだろう。月が異常なくらい近くで輝いていた。小屋周辺は皮膚を切り裂くような冷気に包まれていた。



薬師岳への途上で
急斜面をトラバースする宮本氏
[2001.1.8撮影]


急斜面のラッセルがつらい
砂払岳間近[2001.1.8撮影]



雪に埋もれていた薬師岳小屋[2001.1.8撮影]


南御室小屋の冬期小屋[2001.1.8撮影]


(第4日)
翌朝、この南御室小屋の周辺は樹林に囲まれているためかなかなか陽が差さなかったが、まだ薄暗い小屋を思い切って外に出ると上空は青空だった。新たに降雪はなかったものの、予想通り夜はかなり冷え込み、スパッツや登山靴は堅く凍り、コッヘルに入れていた水も全てカチカチに凍っていた。

下山路は昨日下山した登山者のトレースがはっきりと残っているために、何の問題もなく下ることができそうだった。昨日まで体調がすぐれなかった宮本氏は、下山する今日になって本来の調子を取り戻したようだった。樹林帯では寒くて手先や足先が凍りそうだったが、苺平を過ぎるとようやく陽も当たるようになり、快適な冬のスノーハイキングという雰囲気になった。火事場跡からは雪に覆われた白峰三山が陽に輝いていた。

夜叉神峠登山口に降り立つと、駐車場には雪に埋もれた我々の車だけが残っていた。ちょうど林道の除雪のために除雪車が登ってきたところであり、前日下山した人達はこの雪の中から車を出すだけでもかなり大変だったろうと思われた。



苺平を下山する(山火事跡付近で)
右奥は白峰三山、北岳[2001.1.9撮影]


夜叉神峠登山口[2001.1.9撮影]


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