大正7年生まれであった私の母(きぬ)は、平成9年に77歳で他界しました。菅原家の長女として白鷹町荒砥に生まれ、長井市の貧しい農家に嫁いでからは、夫と共に毎日農作業に精を出し、一時は小さな町工場に勤めたりもしましたが、夫を早く亡くしてからは野菜や花作りを唯一の楽しみに生活していました。
 一方では短歌など(一部、俳句や川柳もあり)をいつの頃からか趣味としていて、畑作業の傍ら、母の友人と共に歌を作るのを老後の楽しみにしていたようです。そして、出来上がりのよいものは長井市報という広報誌にときどき掲載されるのを励みにしていました。
 短歌については私はよくわかりません。所詮、内容も素人の域を出ないものばかりだろうとは思うのですが、家族にとっては母の大切な想い出でもあり、母が生きてきた証を何らかの形できちんと残しておいてあげられればと、他界して8年にもなってから、ここ最近不思議と思うようになってきたところでした。
 今はインターネットという便利なものがあり、世の中の片隅にでもそっと公開出来ればと思い、少しずつながらパソコンで入力を続けてきて、最近やっと形ばかりできあがりました。ページをめくりながら入力していると、年老いた母が死ぬ寸前まで机に向かっていた姿などが突然に思い出されてきて、つい涙が溢れでてきてしまい困ったりもしました。生前はワープロでも使い、活字にして製本でもしてあげようかとも考えたりしましたが、忙しさに紛れていつのまにかそのままになっていました。親孝行したいときには親は無し。ようやくアップすることができて、ホッとしているところというのが本音です。もしかしたら「息子だらば余計なごどをして」などと母が
墓標の下で嘆いているのかもしれませんが・・・・。
 BGMに使用したのはギターの名曲「アルファンブラ宮殿の思い出」。10代から20代初め頃、クラシックギターを習っていた時によく練習した曲ですが、当然ながら今では指がほとんど動きません。これはラジオ番組「永六輔の誰かとどこかで」の中で、金曜日の「七円の唄」でもBGMとして使われていて、私の好きなギター曲のひとつです。(平成17年12月記)

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